104mishima's lifelog

仕事と個人的趣向の周辺の物語も合わせて。ライフログ用。

035 意外な、万が一

最近はっとしたことがありまして、その話。

やはり現在は過去に引っ張られているのかも知れない。

 

僕の実家は北九州。

両親は自営で小さな印刷屋を経営していました。

 

おそらくあまり経営は順調でなかったように記憶していますが、一家5人、なんとか食べていけてました。

 

僕は3人兄弟の末っ子で、兄は7つ上、姉は5つ上。

少し歳の離れた上2人を、反面教師にし要領よく過ごしていたと思います。記憶力がよかったので、成績はまずまずでした。

 

ちなみに僕は高2の時、父親を亡くしています。

59歳でした。

 

予めお伝えしますが、僕は自分の事を不幸と思ったことは一度もありません。むしろ、その過去のおかげで今があるなら、自分の糧としてマルなのです。

 

もう少しだけ当時の話をすると、

兄は工業高校→就職、姉は私立高校→短大と進路を選択していくなかで、

17歳の三島少年は「あ、父親いなくなったし、お金に困るだろうから高校でたら働こう」とやんわり決意します。

 

↑ここ、人生の分かれ道だったなと思うんですよね。選び直せない分かれ道。

 

当時の僕は「これがベスト。他に選択肢なんかない」と思っているわけです。幸・不幸のものさしではなく、「これでしょ。他はない。」というスタンス。

 

5月から保険業をはじめて、「万が一」というワードをよく口にするようになりました。

ただ「万が一」というワードは個人的にあまり使いたくない言葉です。ありがちな不安煽り商法みたいで。

 

ただよくよく考えてみたら、60歳男性の死亡率は2%程度。子どもが成人する前に親が亡くなるのは、

万が一とまではいかなくても、そこそこのレアケースであると保険業を始めてようやく気付いたんです。

 

つまり、「万が一、そんな起こんないし。」と思ってた本人がまさにソコにいたわけです。

はっとしますよね。「俺かい!」みたいな。

 

さらには、

経営に苦戦した挙げ句、親は生命保険を解約していました。その半年後に父親は他界。

 

本人はそうではなかったけれど、僕がこの状況の他人の子をみたら、まず「不幸」と決めつけてしまうでしょう。そのど真ん中にいましたね。

 

 

「当たり前にくると思っている明日は、実はそうじゃない。」

でも、できれば自分の家族くらいには色んな選択肢をのこしたいなと思いますね。

 

そんな事を思うと、僕が保険屋をやる意味はあるのかも知れない。と思うわけです。

 

そして、親がおそらく上手くできなかった商売でも、超えてやろうと思ってます。

 

というわけで、コーティング業も保険業も、絶賛営業中です!✨

 

11月は、人生初の群馬へ〜🚃

 

まあ死ぬまで全力で楽しくいけたらそれでいいかな!

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